『ビバリウム』は、2019年に公開されたサスペンス・スリラー映画で、単なる不安を煽るホラー映画にとどまらず、観客に深い思索を促す作品です。この映画は、閉じ込められたカップルが体験する絶望的な状況を描いており、視覚的、心理的に非常に印象深い作品となっています。今回は『ビバリウム』の考察を行い、映画が持つ深層のテーマについて掘り下げていきます。
『ビバリウム』の基本的なストーリー

あらすじ
物語は、ジェマ(イモージェン・プーツ)とトム(ジェシー・アイゼンバーグ)の若いカップルが家を探すところから始まります。二人は、偶然にもある不気味な住宅地に足を踏み入れ、そこから逃げることができなくなります。周囲は無限に続く同じ家が並ぶ奇妙な街並みで、出口を見つけることはできません。さらに、二人には謎の「赤ん坊」が与えられ、その子供の育成を迫られることになります。
『ビバリウム』のテーマと象徴

無限の循環と閉塞感
この映画が伝えようとしている最も強烈なテーマは、「無限の循環」です。主人公たちは出口のない迷路のような住宅街に閉じ込められ、脱出する方法が見つかりません。これは現代社会における「閉塞感」や「無力感」を象徴しているとも考えられます。現代社会の中で、私たちが感じることの多い不安や行き詰まり感が、この映画を通じて表現されています。
- 象徴的な住宅街: 住宅街は「無限に続く場所」という象徴であり、どこに行っても同じ景色が広がっています。これが、現代社会における同じような日常の繰り返しを映し出しているのです。
存在の意味と人間の本能
映画の中で最も注目すべきポイントは、ジェマとトムが「子供」を育てることを強いられる点です。与えられた子供は、普通の子供ではなく、恐ろしいほどの速さで成長し、徐々に支配的な存在となります。これが人間の本能、特に親としての「育てる責任感」や「存在の意味」を問うものとなっています。
- 育てることの意味: 本来ならば親として喜びと責任を感じるべき「育てること」という行為が、次第に恐ろしい負担と化していきます。この「育てることの恐怖」は、現代における親の心理的な重圧を象徴しているともいえます。
映画の視覚的演出と不安感

不安を煽る美術とカメラワーク
映画の舞台となる住宅地は、非常に異常で不安を煽るデザインです。同じ家が無限に並ぶ風景は、視覚的に非常に効果的です。こうした背景が、観客に終わりのない不安を感じさせ、映画全体の恐怖感を強化しています。
- カメラの使い方: カメラはジェマとトムの行動を追いながら、その不安感を映し出します。家の中で何度も同じ場所を歩き回るシーンや、狭くて圧迫感のある空間が、この映画の不安感を一層強調します。
音響と照明
『ビバリウム』では、音響や照明の使い方も非常に効果的です。特に音響は、登場人物の心理状態を反映させる重要な要素となっています。照明の使い方も、視覚的に緊張感を高めるために重要な役割を果たしています。
- 音響: 微細な音や背景音が、ジェマとトムの不安をより強調し、観客をその感情に引き込んでいきます。
物語の結末と解釈

結末の解釈
映画の結末は非常に独特で、観客に大きな衝撃を与えます。ジェマとトムは脱出を試み続けるものの、結局は繰り返される運命の中で閉じ込められてしまうことが分かります。この結末は、終わりのないループに閉じ込められる現代社会のメタファーとして解釈できます。
- 無力感の表現: 結末で二人が見せる無力感や絶望感は、現代社会の中で感じることが多い無力感を反映しており、観客はその感情に共鳴します。
観る価値のある理由

『ビバリウム』は、その独特な世界観や深いテーマ性から観る価値のある作品です。不安と恐怖をテーマにした作品ですが、その背後にあるメッセージは非常に強力です。現代社会の閉塞感や人間の存在に関する深い問いを、映像や演出を通じてしっかりと表現しています。
- 深層にあるテーマ: 観終わった後もそのテーマが頭に残り、深く考えさせられます。映画が描く「脱出不可能な状況」とは、現代人が抱える「自己の限界」や「社会的圧力」に対する強いメタファーとなっています。
まとめと観る前のアドバイス

『ビバリウム』は一度観るとその独特な世界観が印象に残り、何度も思い返すことになる映画です。テーマ性が強いだけでなく、視覚的にも非常に魅力的で、見終わった後にはしばらくその余韻に浸ってしまいます。観る前に、あまり詳細な情報を得ず、素直にその不安感や恐怖を感じ取ることをお勧めします。

